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【2024/11/28 01:54 】 |
尾崎加寿夫
尾崎 加寿夫(おざき かずお、1960年3月7日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー解説者。ポジションはフォワード。奥寺康彦や風間八宏らと共に1980年代に西ドイツでプレーした、現在の海外組と言われる選手達の草分け的存在である。
目次 [非表示]
1 来歴
2 所属クラブ
3 個人成績
4 代表歴
4.1 出場大会など
4.2 試合数
4.3 得点数
来歴 [編集]

1978年4月、日本大学高等学校から三菱重工へ加入。高校時代から将来を嘱望されたFWであった。
1979年、日本ユース代表の主将としてFIFAワールドユース選手権日本大会に出場。0勝2分1敗で1次リーグ敗退。
1981年、日本代表に選出される。
1982年6月、日本代表でジャパンカップキリンワールドサッカー82(現・キリンカップ)に出場。対フェイエノールト戦で4得点を挙げるなど、計6得点の活躍をする(この時来日したヴェルダー・ブレーメンには奥寺康彦が所属していた)。7月、日本代表として西ドイツ遠征に参加。この時対戦したビーレフェルトのホルスト・ケッペル監督に、練習への参加を要請される。10月、三菱の4年ぶりの日本サッカーリーグ制覇に貢献し、アシスト王と日本年間最優秀選手賞を受賞。
1983年6月、ジャパンカップ83を体調不良を理由に欠場。この期間に無断で渡独しビーレフェルトの練習に参加していた事が発覚すると選手規定に抵触するとし大問題に発展する(尾崎問題)。7月、三菱重工サッカー部を退部しビーレフェルトに移籍。8月13日、ドイツ・ブンデスリーガに日本人2人目のプロ選手としてデビュー。初戦のシャルケ04戦で初得点を決める。11月5日、奥寺康彦の所属するブレーメンと対戦。これが海外での日本人選手同士の初対決となった。
1986年、ビーレフェルトは2部(ツヴァイテリーガ)へ降格。
1988年、活躍の場を求め、ブンデスリーガのザンクト・パウリに移籍。
1989年、アマチュアクラブのツゥル・デュッセルドルフに移籍。
1990年、三菱自動車工業(現・浦和レッズ)へ復帰。
1993年、ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)へ移籍。リーグ戦に2試合出場し、シーズン終了後に現役引退。
日本リーグ通算78試合出場、20得点。国際Aマッチ17試合出場、3得点。
所属クラブ [編集]

日本大学高校
1978年-1983年 三菱重工業サッカー部
1983年-1988年 アルミニア・ビーレフェルト(ドイツ)
1988年-1989年 FCザンクトパウリ(ドイツ)
1989年-1990年 トゥル・デュッセルドルフ(ドイツ、アマチュア)
1990年-1992年 三菱自動車工業サッカー部/浦和レッドダイヤモンズ
1993年 ヴェルディ川崎
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【2010/11/18 21:23 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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